『国宝』――文楽のように語られる“美”と“哀しみ”の物語

久しぶりに、心の底から「物語って美しい」と思った。吉田修一『国宝』。

吉田修一著「国宝」下巻。
「『国宝』下巻。光の中で読了の余韻を。」


上下巻を一週間で読み終えた。舞台の上の光と影が、まだ胸の奥で揺れている。

「お花屋さん」の目線から

 花を生業にしていると、「美しいとは何か?」を考えることがよくあります。吉田修一さんの「国宝」は、まさに”美”に人生を捧げた物語。そんな問いにに真正面から挑むような作品でした。

 舞台の上で生きる人の輝き。そしてその光の裏にある痛みや、どうしようもない宿命。戦後という荒れた時代から始まった物語はどこか乾いた風のようで胸に痛みを感じました。

語りの美しさ。

この小説は“読む”というより、“聴く”ような体験でした。
語りがどこか太夫の節回しのようで、文楽を見ているような感覚に。静かで、でも確かに熱を帯びた語り。芸の世界の厳しさと、人としての哀しみが、淡々と語られるほどに深く沁みてきました。

死と美の対話

「生きること」と「死ぬこと」を、どちらも“舞台の一部”として描く吉田修一の筆。
誰もが最後の一瞬まで、自分の「芸」や「誇り」を生き抜こうとする。
そこにあるのは、恐れではなく“美”。
花が咲ききって散るように、人の生もまた、完成の瞬間を迎えるのかもしれない。

結び

花の色も香りも、永遠ではない。けれどその一瞬にこそ、人の心を動かす力がある。「国宝」は描く世界はまるで「花」そのもののようだと思いました。

今日も誰かの心に残る一瞬を束ねるように、静かに花束を組みます。

『国宝』を読みながら、花をいけるときの呼吸を思い出す。「一輪の花にも、生と死、光と影がある。」
その一瞬をどう見つめるか――それが“美”なのだろうか。

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